• ホーム
  • サイト管理者
  • 小説
  • イラスト
  • リスト

女将と夢魔

牧歌的な音色を奏でる鐘のついたドアを閉めると、女将はしっかりと鍵を掛けた。
その手には、お弁当を入れるバスケットとドラゴンを象った杖が握られている。
女将の雑貨店『紺碧の塔』の閉店時間はとっくに過ぎていた。
今日は宿屋の『暁の乙女亭』の定休日ということで、品薄になっている惚れ薬を作りに『紺碧の塔』の奥にある工房に来ていたのだった。
女将は透けるような金髪が落ちてくるのを整えると、大きく伸びをした。
乾燥した空気が、秋が深まっていることを教えてくれる。
大きく息を吸った女将の鼻孔を、嗅ぎ慣れた媚薬の様な甘い匂いが擽った。
匂いの先へ振り返ると、そこには彼女が召喚して以来世話をしている夢魔が立っていた。
15軒先の『暁の乙女亭』の裏にある彼女の自宅から、お迎えに来ていたのだ。
「お疲れ様」
にんまりと夢魔は微笑んだ。海のような深い青を湛えた瞳がすっと細まる。彼の底光りする青い瞳と浅黒い肌は、女性の目を引くように出来ていた。
通りを歩く女性の視線を鷲掴みにした夢魔に、女将は疲労たっぷりの笑顔で微笑み返した。
彼女の自宅は夜間彼による結界が張られている為、術者である彼に迎えに来て貰わないと、自宅に帰ることが出来ないのだ。
「今週はかなり売れたからな。作りがいはあったろう」
彼は召喚されてからここ2年、『紺碧の塔』の店番として働いている。
女将に惚れ薬の在庫が少なくなったことを伝えたのは彼だった。
「秋祭り前だから売れるのは分かっていたけど、ここまでとはね。年々売れ行きはウナギ登りだし、来週末が秋祭りだからそれまで持つ様、今日は大量に仕込んで置いたわ」
この時期は秋祭りの直前ということもあり、惚れ薬がよく売れる掻き入れ時であった。
何せこのアンディーンの町の秋祭りには素晴らしいジンクスがある。
秋祭りに誕生したカップルは来春結婚するというジンクスだ。
無論このジンクスは、ポーション協会の会長であるカトリーヌ女史が、祭りの盛り上げと業界の売り上げアップの為に作り上げた『都市伝説』である。
この『都市伝説』は、結婚したい男女によって想像以上の速さで町中に広まった。