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見るのを忘れることが多く、よく叱られたものだった。
そんな少女のサリーが本を読むことだけでは飽き足らず、いつか小説を書きたいと思うようになるのにそれほど時間はかからなかった。
罰で本を取り上げられても、頭の中で主人公を動かし空想の世界を楽しんだ。
そんなサリーだから、同じ遊牧民との結婚の話が出たときには大いに反発した。
遊牧民の嫁の務めなどしていたら、一生書くどころか読むことまで出来なくなる。
それほど厳しい仕事なのは母を見て分かっていた。嫁には自由時間なんて無いのだ。
サリーは結婚話が進む前に家を飛び出した。相手の顔も名前も知らない。
それが15の時である。
両親と街に買い出しに来ている際に、そのまま行方をくらませたのだ。
家出ではなく出奔だった。
飛び立とうとしているドラゴンタクシーに飛び乗り、竜の背で便乗を頼みこんだ。
客である商人はアンディーンの街に帰るところだった。
乗ってしまったものは仕方ない。空から落とすというのは寝覚めが悪いと商人は渋々認めてくれたのだった。サリーはそのお礼を含め、その商人が急死するまでの5年間、事務の仕事を手伝った。
それから今のアパートメントに引っ越し、『暁の乙女亭』でバイトをしながら、ようやく自分の好きなことが出来るようになったのだ。目の痛みごときで屈するわけにはいかなかった。
「視力も落ちて来てるし、眼鏡作ろうかな…」
鏡に映る彼女の目は酷いものだった。紫がかった灰色が縁で金色に変わる瞳には輝きはなく、白目は真っ赤に充血している。ついでに言うと伸ばしっぱなしの黒髪にも艶が無い。
サリーはお湯で濡らしたタオルをきつく絞り、ソファに腰掛けると目の上に置いた。
それからゆっくりと指先で肩の凝りを解していく。
じんわりとしたタオルの温かみが、目の痛みを抑えてくれた。
目の廻りの固いものが溶けていく。そんな感じがたまらなく心地よかった。
タオルが冷たくなってきたと感じた時、けたたましく呼び鈴が鳴った。
今日は編集が来る日では無い。
自分のところに尋ねてくる人など限られているサリーは、これは女将だろうとドアを開けた。
「はい?」
予想に反して目の前に立っていたのは、シャツにスラックスと気軽な装いの見知らぬ男だった。
健康そうな肌の色に明るい金茶色の髪、焦げ茶色の瞳が優しげなこの男は、見るからに針金を縒り合せてできたような引き締まった体をしていた。サリーより頭一つ大きい。
屈託なく笑うと温かみのある低い声でサリーに挨拶をした。